新大学入試・英語民間試験 延期
http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/5803
2020年度大学入試から利用されることになっていた英語の民間試験の導入の延期が本日11月1日に 萩生田光一文部科学相 から発表されました。かねてから、当事者である高校生や各高校からの反対意見も強く賛否両論であったこのシステムですが、この時期になっての延期決定です。
私自身、このシステムには懐疑的なところもありましたので、延期自体は喜ばしいことかと思います。ただ、一番被害を被るのは現役の高校生たちで、お上の決定が二転三転することで不安を与えてしまっているのはゆゆしき事態だと思います。
金融庁の「市場ワーキング・グループ」が公表した報告書 から「老後資産2000万円」が必要といった話題が世間を騒がせたように、金融庁であろうが文科省であろうが、立法府・行政府(つまり国)は必ずしも正しくはないのだなあと思えてきます。
この英語民間試験導入の根底にある「日本人の英語教育に4技能をバランスよく取り入れ、平たく言えば、日本人も英語を『話せる』ようにしよう!」という方向性自体は間違っていないでしょう。
私自身、日本の古くからの英語教育の中で育ち、高校・大学卒業後も英語は読むことはできても話すことはまったくできないという典型的な日本人でした。その後、カナダ留学を機に英語を話すこともできるようになりましたが、実際世間一般の英語教育のみで英語を『話せる』ようになった人はかなり少ないでしょう。
それゆえ、「日本の英語教育は間違っている」、「もっと使える英語を」といった声が長年あり、その対策としての今回の入試改革の実施が行われる運びになったのですが、具体的なその方法が正しいのかは、はなはだ疑問です。
4技能というと「読む」・「聞く」・ 「書く」・「話す」ということですが、今までは 「読む」・「聞く」というインプットに重きが置かれており、 「書く」は英作文としてテストでも課されていたものの、 「話す」ことはかなりおろそかになっていました。そのため、この4技能のうちでも「話す」ことをに力を入れるのはいいとして、そもそも小・中学校の限られた授業の中でそこまでの時間があるのか?というのが疑問点です。また、本当に話せるようになるためのノウハウを先生たちが持っているのか?国の指導要綱が正しいのか?そもそも英語を話せない先生たちがどうやって話せるようになる指導をするのか?などなど
現状、こちらの塾に来ている中学生の話を聞いていると、英語でやっていることは「英語の映画を見る」「ALTの先生が授業をする」などと言ったことで文法指導や教科書の内容の解説などが疎かになっているように思えます。一昔、二昔前は「英語は良く分からないけどなんとか単語は分かるよ。」という生徒も多かったのですが、今は「単語すら分からない」子がかなり多くなっています。「話す」ためには基本的な語彙力は必要となるわけですが、それすらできないのであれば話せるようにはなりません。文法も話すために必要です。とにかく、英語に触れていれば日本語を覚えたように英語も使えるようになるという幻想は捨て去るべきです。映画を見ようが、アメリカ人の先生と話そうが、それだけでは無理です。そして、英語を話すためには、しっかりとした母国語の運用能力が不可欠なのですが、現代の若者の国語力の低下も顕著ですので、そういった意味でも負のスパイラルに陥っているようにも思えます。
どうやったら日本人が英語を話せるようになるのかを語るとかなり長くなりますので、ここでは詳細には触れませんが、とにかく「話す」ことができる子を育てたいのならば、学校でも思いきって定期テストや受験でのペーパーテストは無くす位のことをしない限りは理想のままで終わると思います。そして、国語の時間をたくさん増やす必要があります。小学校での英語教育も教科化しないで触れる程度で良いです。プログラミングも子供の内は必要ないです。とにかく、なにより国語力を付けてあげる教育を国には行って欲しいです。国語力さえあれば、英語でも数学でもプログラミングでもできるようになりますから。
ただ先程述べたように、国の政策が怪しげな今、子供のそばにいる親御さんこそが本当に必要なことを良く考えるべきではないでしょうか。受験で成功するだけでなく、本当の意味で立派な人間として子の成長を願うならば。
塾の役割には、学校ではできないことを補うということがあります。ですので、当塾でもかゆいところに手が届くそんな教育の一端を担えればなあと思う次第であります。現場で生徒と直接対峙するからこそ分かることがあります。だからこそできる指導があります。少しでもご興味があれば、お話だけでも結構ですのでお聞きになって下さい。ご連絡はお気軽にどうぞ。
ユニスタディ 教室長 泥谷(ひじや)
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